陶芸工房の理想郷を求めて愛知県南知多から移住。藤田 敬さん(陶芸作家)・今谷紀子さん(モザイク&陶芸作家)トロッピカル窯経営

里山の古民家を住宅兼工房へ。只今改修中!

南山城村総務課・魅力ある村づくり推進室宛に一枚のFAXが届いた。「工房を探しています」。そこには藤田さんと今谷さんのプロフィールと希望物件の間取りが書き添えられていた。その後、「物件ありました」との連絡を受けたお二人は、すぐさま南山城村へ足を運んだ。納屋には窯が3台設置できるスペースがあり、一目でこの物件に惚れ込んだという。「知多近辺での物件巡りは40数件に及び、岡山へも足を延ばしました」と、今谷さんが当時の苦労を語った。「信楽町へも車で一時間圏内なので、資材調達や販路としての便が良いのも決め手でした。ダルマストーブを入れたり、薪の生活が楽しみ」と、藤田さんは里山暮らしに期待を寄せている。しかし、以前経営していた愛知県南知多町の「ゆう彩工房」は漁港の目の前に立地していたため、海の記憶も捨てがたく、ガラスの浮き球などの漁具のインテリアが目を引く。「里山に住みながら潮騒の音が聞こえる生活がしたいですね」と、アーティストらしくユニークなお話。「トロッピカル窯」という屋号が物語っている。南山城村の土から生み出される作品が楽しみである。

デスクワークは想像できない。ものづくりへの挑戦。

大阪出身のお二人。藤田さんは経済系の大学を卒業後、「デスクワークは想像できない」と、ものづくりの道を模索した。泉楽窯(泉楽陶芸大学)をタウンページで見つけたときに、「大学なんやから学べそうやな」と門を叩いた。そこで陶芸教室アシスタントをしていたのが今谷さんだった。大学でイラストレーションを専攻していた今谷さんは、絵付けができると期待して泉楽窯に興味を抱いたという。ところが、土に馴染むところから陶芸のイロハを学ぶことになった。それから約三年後、藤田さんは今谷さんから陶芸指導を受けることになるとは実に運命的である。陶芸に「ビビッときた」という藤田さんは、泊り込んでまでときに土と格闘し、ときに土と戯れる日々を過ごした。しかし、陶芸は土をこねるだけではなく、成形創作し、釉薬を掛け、焼く…という作業工程で成り立つ。必然、化学知識が求められるため、化学にコンプレックスを抱いていた藤田さんは愛知県瀬戸窯業高等学校専攻科で釉薬について学んだ。その後、製陶所勤務で陶磁器産業に身を置くことで、改めて基礎を習得し、かねてから作風が気になっていた陶芸作家の家坂氏が常滑から南知多へ「ゆう彩工房」として創作拠点を移す際に弟子入りした。窯で焼成中に陶器を取り出して、水につけて色留めする独特の金属発色を促す"楽焼"に魅了された。二年後、家坂氏が亡くなり、ゆう彩工房を継承することとなった。

“南山城焼”を生み出すスタートラインに立つ。

今谷さんは八年間に亘る泉楽窯での勤務を経て独立。地元の堺市で陶芸工房「のみち」で作陶活動をはじめた。しかし、行き詰まり感を抱いた今谷さんは、興味があったモザイクを学ぶために長野県富士見町の日本装飾美術学校で壁画モザイクを学んだ。卒業後、藤田さんから「ゆう彩工房で一緒にやらないか」と声を掛けてもらい、創作意欲が蘇っていた今谷さんは二つ返事で南知多へ向かった。モザイクアーティスト・陶芸作家として活動を共にして四年の年月が経った頃、大家さんのご都合で立ち退くことに。しかし、南山城村と出会い、"むらぷら"ウェブサイトで陶芸や木工作家など、アーティストが活躍する舞台があることをお二人は"縁"と感じ、移住を決めた。藤田さん曰く「とにかく作り出すこと。自分のスタイルを確立すること。より多くの人に焼物の魅力を伝えること」。今谷さんは「焼物体験の場、コミュニケーションの場づくりに取り組みたい」と抱負を語ってくれた。お茶が飲みたくなり、湯冷まし中でも楽しめる茶器の創作など、お茶農家とのコラボを通じて地場産業を支えられたらと、彼らの夢は広がる。平成23年9月から少しずつ引越しをはじめ、同年12月1日、南山城村の住人となった。
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